小説「そうか、もう君はいないのか」を読んだ。

城山三郎氏の著書「そうか、もう君はいないのか」を読みました。

インパクトのあるタイトルだったので興味を持ったのだが、どこで目にしたのか覚えていないし、もしかしてKindleのセールだったから買ったのかもしれない。買ってからそのうち読もうと思いつつ、ずっと置いていた本だった。内容は、「妻を亡くした著者がその後の苦しみを過ごす日々を描いたもの」だと勝手に思っていたのだが、読んでみるとまったく違っていた。

妻とどうやって知り合ったということから始まり、一時は離れ離れになるも、奇跡的に再会を果たし、結婚するまでの過程、それからの楽しい日々を、さも楽しそうに語ってくれる内容であったが、スラスラと読めて、これがなかなか面白い。読んでいて情景が目に浮かんでくるようでした。著者の語り口が上手だったから余計に、というのもあります。

最後は妻を看取ることになり、小説はそこまで。その後の話は未完のまま終わっている。

残った原稿を、編集者の方が丁寧につなぎ合わせて、巻末に著者の娘さんが「あとがき」と題して、補足説明をなさっているのだが、これを読んでいるとまた泣けてくる。母を失った父の苦悩は想像を絶するものであったとの事で、その描写に多少は重い部分もあるものの、最後はとてもあたたかい気持ちになれたので、時間のある方はぜひ読んでみてほしい。

 

 

話は変わるが、自分のこと。

僕は割と生死に関わる本や映画などをよく読んだり見たりします。「死」という言葉からあえて目を背ける人もいるだろうとは思いますが、これは誰もが潜在意識の中に埋もれさせている事だと思います。自分の場合は常に意識はしている感じです。意識しているからといっても別に早死にしたいとは思っていません(笑)むしろ逆。

人間、年を取れば誰もが「死」を意識する。「死」を意識するからこそ、「今」を大事に生きようとする。じゃあどう生きればいいのかというと、これがまた人それぞれであり、

例えば生きている間にやりたいことをやりきって死ぬ、という人間もいれば、いつもと同じ日常をすごし枯れ果てるように死ぬのが理想だ、という人間もいる。

僕の考え方は明らかに後者の方で。

「どうせ死ぬのだから」と生き急いで、はやく、はやくと、せっかちになる人もいるけど、僕はそんなふうに生き急ぎたくはない。人はみな、何かを勉強しながら、その登り坂の途中で死ぬことはわかっている(僕の場合は音楽)。だから、その坂をどこまで登れるかが問題だ。生き急いだ結果、大して登っていないうちに酸欠になって死んでしまうよりも、すこしずつ、すこしずつ確実に前に歩み、出来るだけ高みを目指して登りたい。その途中で朽ち果てるのが理想だと思っている。そういうのが自分の生き方かなと思う。

 

偶々、この本を読んだあと、こんなことを考えていた折に、知り合いのピアニストが亡くなったと聞き、まさに「そうか、もう君はいないのか」という気持ちになりました。死んだ人よりも残された人のほうが苦しみは大きいのかもしれない。同じ年齢だったのでショックは大きかったです。彼も常に高みを目指していて素晴らしいプレイヤーでした。僕はまだ生かされている。彼を見習って彼のぶんまで頑張ろうと思う。

とりとめのない日記になってしまったが、今の気持ちを書いておくのも大事かな、と思って書いてみました。

それではまた明日も頑張って生きます!


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